リプレイ:三国志X Powerup Kit版
 第3回 劉備、夷陵にて大敗を喫し、劉禅、蜀の二代目皇帝となる

前回までのあらすじ
 江陵の関羽のもとに仕官した楽彊であったが、孫権軍の裏切りによって荊州における領地をことごとく失った。
 一人帰還した楽彊は、劉備のもとで関羽の復讐を誓うのであった。

218年3月26日
 成都に帰りついて一晩休んだ楽彊は、曹操が死去したことをはじめて知った。
 黄巾の乱以後、時代の先端を走った「乱世の奸雄」曹操。
 彼の死は、時代が変わりつつあることを予感させた。

3月27日
 漢中を手にして以来、上庸を守っていた孟達が曹丕のもとへ寝返ったという報が届く。
 そして、上庸の副将であった劉封が帰還した。

劉封 「孟達殿は処罰されるのを恐れ、裏切りました」
劉備 「それで上庸まで奪われ、のこのこ帰ってきたか」
劉封 「面目ございません。せめて一言お詫び申したく」
劉備 「それに、おまえは関羽を見殺しにした」
劉封 「申し訳ございません。孟達殿が強硬に反対し、救援に向かうことができませんでした」
劉備 「裏切り者にそそのかされたか。おまえには斬首を申し渡す」
楽彊 「お待ちください。関羽殿への援軍の件は、あながち間違った判断でもありません」
劉備 「親子といえども、軍規を曲げるわけにはいかぬ」
楽彊 「さらに、上庸では孟達殿を必死に説得したと聞き及びます。ここはなにとぞ、ご寛大な処置をお願いします」
劉備 「分かった。罪を一等減じて死罪は免じてやろう。楽彊に感謝するのだな」
劉封 「ありがとうございます。父上、楽彊殿・・・」

こうして、劉封は死罪を免れた。諸葛亮が少し苦い顔をしたが、何も言いはしなかった。

その直後、劉備のもとに入った報は国中を震撼させた。
曹丕が漢の献帝を廃し、魏皇帝になったというのだ。
しかも、曹丕は献帝を弑逆したというである。
孔明をはじめ群臣たちは皇帝即位を勧めたが、劉備はそれを固辞した。

4月17日 二世誕生
 暗いことが続いた楽彊に、一つの明るい出来事がおきた。
 第1子誕生。楽珍(らくちん)。字は易明(えきめい)と名づける。
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それに対する妻の反応は・・・

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夫婦そろってネーミングセンスを疑われることになるが、本人たちはそのことを知らない。

4月20日
 再三にわたる孔明の勧めにより、ついに劉備が蜀漢の皇帝に即位した。
 そこには何か、決意のようなものがみえた。

4月21日
 翌日、改めて群臣を集めた劉備は、その決意を明らかにしたのだった。

劉備 「関羽の仇を討つ。孫権を討伐するぞ。これはもう決めたことなのだ!」

 孫権討伐の命くだる。
 孔明は一度制止を試みたが、その決意の強さをさとり、軍備を進めることにした。

5月1日
 孫権討伐に向けて徴兵や調練に励む楽彊が、ともに調練していた黄忠から一騎討ちを申し込まれた。

黄忠 「孫権討伐に向けて兵の気力も満ちてきている。どうじゃ。兵を高揚させる意味もこめて、わしと一騎討ちをしてくれぬか?」
楽彊 「なんと。高名な黄忠殿から一騎討ちを挑んでいただけるとは光栄です。こちらこそよろしくお願いします。」

黄忠としては漢中奪取以来戦場に行くことがなかったことに加え、関羽のもとに仕官した新参者がどれほどのものかみておきたかったのだろう。

黄忠との一騎討ちは激しい撃ち合いになったが、楽彊がからくも勝利した。

黄忠 「なかなかやるな。まだまだ若い者には負けんと思ったが。在野の士であったころに名を馳せたというのは本当じゃったか。」
楽彊 「いえいえ。今日勝てたのはたまたまでございます。孫権討伐では将軍のご活躍を見せていただきます。」
黄忠 「そうじゃな。孫権との決戦こそ、わしの最後の戦場よ。孫権の首を取るまでは戻らぬつもりじゃ。」
楽彊 「黄忠殿・・・」

黄忠は、死に場所を求めているのかもしれなかった。

5月3日
 2日後、任務の合間に酒家によると、ちょうど任務をおえた趙雲がいた。
 楽彊は、趙雲を酒に誘い、歴戦の勇士の武勲譚に耳を傾けた。

趙雲 「おぬしと血よりも強い絆を感じる。義兄弟にならぬか?」
楽彊 「五虎将軍に名を連ねる趙雲殿と義兄弟とは恐れ多いですが、よろしくお願いします。」

 趙雲と義兄弟になった。

5月10日
 さらに軍備を勧める蜀軍に、悲報が届く。
 張飛が部下に討たれる。
 関羽に続いて張飛を失い、劉備の孫権に対する憎悪は極限に達していた。

5月12日
 蜀軍、ついに出陣。
これに従軍した関興と張苞が義兄弟になり、孫権への復讐を誓った。

緒戦は、大軍をもって孫権軍を圧倒した劉備軍であったが、陸遜による火計によって大打撃を受けた。
そして、夷陵での戦いで大敗した蜀軍は、なんとか白帝城に逃げ延びた。
しかし、殿をつとめた黄忠はついに帰らなかった。

7月23日
 白帝城で病の床についた劉備を見舞った楽彊は、諸葛亮と酒を酌み交わし、今後のことについて話し合った。
 このとき、諸葛亮と義兄弟になり、趙雲・諸葛亮・楽彊の新たな義兄弟が誕生した。

8月6日
 ついにそのときがきた。
 蜀の皇帝、劉備が崩御
 二代目の皇帝として劉禅が後を継いだ。
 関羽、張飛、劉備、そして曹操。
 三国時代を作った英雄が相次いで逝き、時代は新たな世代がつむぎだしていくことになる。

9月2日
 魏延率いる一軍が武都を落とす。
 こいつは、なにも気にしていない様子。

そのころ、楽彊は成都で訓練の日々
技術を提案しても蹴られ続ける。
成都を大都市にしたいんだけどねえ。
劉禅と親交を深めようとするが、門前払い。
個人相性が悪いのが原因のようだ。

10月26日
 六品官に昇格


11月10日 諸葛亮引きこもり事件
 最近、諸葛亮が出仕していないことを心配した劉禅は、楽彊とケ芝を伴って様子を見に行った。
 どうやら諸葛亮の心配は呉との関係らしい。
 ケ芝が使者となり、呉と同盟を結ぶ方針が決まる。
(この辺の有名な話は細部割愛)

12月10日 蜀呉同盟成立

これより、魏vs蜀・呉連合という構図が続くことになる。


219年

1月4日
年初の評定が開かれた。

劉禅 「我が蜀は、目標を楚攻略においている、みな、それを念頭に励んでもらいたい」
こうしてみると、若くして蜀を継いだ劉禅も、なかなか君主らしく見える。
劉禅 「成都の都市方針は、内政向上じゃ。」
楽彊 「都市方針は、技術重視でいくべきかと」
劉禅 「いまは、そのときではあるまい」

にべもなく、却下された。
あまりにもそっけなさに、失笑をもらす将もいた。

評定後、楽彊は劉封から声をかけられた。

劉封 「楽彊殿、そう気になさるな。陛下は陛下なりに、ご自分の威厳を保ちたいのだ。」
劉封は、さきの孟達の一件以来、なにかと楽彊と親しくするようになっていた。
楽彊 「いや・・・あからさまに嫌われていると思いますがね。関羽殿、先主様と、お側にいながら守れなかった私を恨んでいるのやも知れませぬ」
劉封 「それは考えすぎだ。今は我らにできることをするまで」

そう、魏との戦いに入る、準備をせねばならぬのだから。
関羽・劉備を守れなかったことを誰よりも気にしているのは、ほかならぬ楽彊自身かもしれなかった。

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第3回 あとがき

ほとんどイベント消化みたいな回になってしまいました。
今回も三国志で有名なシーン(曹丕即位、蜀建国、夷陵、呉との同盟など)の描写については省いています。
さて、この状況下で楽彊はいかに戦っていくのでしょうか。
君は、生き残ることができるか?

 

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